スタンリー『プロパガンダの仕組み』の第4章 「統制機構としての言語(Language as a Mechanism of Control)」は,この本の中でも際立って良いので,ながながと紹介するに値する.
この章では,プロパガンダに利用される言語の特徴が議論される.プロパガンダは理想に関するものなので,まず,理想の一つとして,ロールズ的正当性(理にかなっていること,reasonableness)を導入しよう(本文では第三章で導入される).
スタンリーによると,正当性は,政策を提案するさい,その政策に影響を受けるすべての人にとって,政策が擁護できる(justifiable)ことを要求する.「合理性」(rationality)とは異なった理想であり,その事例として,スタンリーは次のようなものを挙げる.
わたしの家は代々地主で,わたしも大きな農地を相続しています.とても貧乏な隣人がいたので,こう提案しました.灌漑から植え付けから収穫まで,何から何までこの土地を使っていいですよ.報酬として年100円差し上げます.収穫物はわたしが売却して,500万円の利益を得ます.あなたは他には何も仕事がないんですから,これが一番いい選択肢ですね,と.
隣人に他の選択肢がないなら,100円程度で働いてもらうよう提案することが,利益を最大化するという意味で「合理的」である.だからといって,この提案が「道理だ」,「理にかなっている」とは誰も思わないだろう.相手の立場を考慮する,相手の身になって考えてみたとき,この提案は擁護できないだろう.
民主的な公共的対話において,正当性は重要である.スタンリーは,正当性がエンパシー(自分が立場の異なる何者かであると想像すること)を基礎として持つと考える.異なった視点と立場を,それらが正当である限りにおいて受け入れるのが,民主的社会である.
さて,正当性が,政策決定に関する公共的対話における理念(の一つ)だとしよう.すると,デマゴギーは,公共的対話への正当性を持つように見える貢献だが,実は正当性を損なうようなものである.正当性が守られるということは,他者に対するエンパシーが機能している.正当性が損なわれるということは,他者に対するエンパシーが機能していない.ということは,典型的なデマは,他者に対するエンパシーを失わせることがその役割である.つまり,「社会におけるある特定の集団は,われわれの尊敬に値しない」というメッセージを,典型的デマは伝えようとしている.人々に「あいつらの立場を考慮する必要はない」と思い込ませれば,どの立場からも擁護できるという正当性を損なうことができるのである.
言語的プロパガンダが可能だとすると,われわれが使う言語には,特定集団の視点を排除する役目を担ったものがあるはずなのだ.しかし,排除はおおっぴらに行われるわけではない.表向きは,あるいは本当に(genuinely),対話への貢献を果たしながら,同時に,特定集団を排斥するように対話を方向づけるような言語的仕組みがあるはずなのだ.排斥と,対話への適切な貢献を独立かつ同時に行う―このような一見相反する活動は可能なのだろうか.
もちろん,ここで,争点内容と非争点内容の区別が重要になるのである.単純に述べると,争点内容を通じて「ちゃんとした」対話を行いながら,同時に,非争点内容を使って特定の視点を排除するのである.「ちゃんとした」対話への貢献なのだから,簡単にそれを斥けることもできず,正当性を損なうメッセージが発信され続けるのである.
言語学者サラ・マリー Sarah Murray によると,非争点内容は一般的に,交渉の余地なく(not negotiable),直接抗議できず(not directly challengeable),スタルネカーの意味での共通基盤(common ground)へ付け加えられる.
英語の例は直観的でないので,日本語の事例を考えてみると,例えば
- A. 今日も暑いな.
B. そんなことない.
1. 今日はそんなに暑くないよ.
2. 昨日は暑くなかったよ. - A. あなたも遅刻したんですか?
B. いいえ,違います.
1. 僕は遅刻していません.
2. 僕以外は誰も遅刻していません.
Bが1と続けるのは普通だが,2と続けるのはかなり不自然か,下手をすると意味不明だろう.マリーによると,前提や規約の含みはdiscourse referentを導入せず,なかなか指示し直すことが(そして否定したりする)ことができないとされる.細かなメカニズムを明らかにするのは大事だが,ここでの目的とは関係がない.とにかく,直接抗議できない,という特徴はこれで明らかだろう.
では,次は具体的に,どのような非争点内容が集団排除に利用されているのか検討しよう.
Murray, Sarah. “Varieties of Update.” Semantics and Pragmatics 7, no. 2 (2014): 1-53.